おもしろコラム1月号2024
142/176

しく忠節を尽くせ」という意味で、そうなると、徳川家臣団からすれば、慶喜への不満を慶喜へ向ければ、「不忠者」、「謀反人」となる・・・。そこで、その矛先が向かったのが、「君側の奸」、つまり、「悪い取り巻き」で、そのため、慶喜の有能な家臣が、次々と味方であるはずの徳川方からのテロに遭って命を落としていました。だから、慶喜は新参者ではあるが、並々ならぬ有能さを見せるこの若者を、「幕末の動乱で死なせるのは惜しい。遠ざけておこう」と思ったのではないかと。結果、栄一は期待に応え、ヨーロッパでは至る所で使節団内の揉め事の調停に見事に手腕を発揮。さらに、先々に備え、利殖して資金を確保。特に、ヨーロッパ滞在中に明治維新を迎えたことは、宇宙ステーションに滞在しているうちに地球がなくなったようなもので、大変な事態です。もし、栄一がいなければ、使節団一行は流浪の集団と化し、外国の塵となったかもしれません。栄一は帰国後、静岡に逼塞していた慶喜を訪ねた後、昭武    との約束に従い、水戸に行こうとしますが、何だかだ言って当時、「君君足らずとも臣臣たれ」という言葉がありました。つまり、「殿様が殿様らしくなくとも、家臣は家臣ら    1月号-142  

元のページ  ../index.html#142

このブックを見る