おもしろコラム5月号
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いうことと、もうひとつ、何より、この地は「ライン川からドイツの心臓部にかけての最短距離。」であったことです。つまり、ここを攻撃することは、ドイツ心臓部への最短距離でもあることから、ドイツ側の頑強な抵抗が予想されるとしても、結果として、早く戦争を終わらせることが出来た可能性もあったわけです。となれば、ソ連のベルリン進駐は間に合わなかった可能性も有り・・・。さらに、その上、連合軍はミスを犯します。連合軍は、ノルマンディ上陸後も、一路、首都ベルリンを目指すことをせず、まず、残存するドイツ軍部隊を撃破することを優先し、ベルリンから90度曲がって、残存部隊に殺到してしまったことです。その間に、ソ連軍が「腐っても鯛!」とばかり、ベルリンを制圧してしまったことで、その後の東西冷戦と軌を一にして、ドイツの東西分割が決まってしまったと言われています。その後、翌1945年2月4日からのヤルタ会談を経てドイツ降伏の1カ月前、日本降伏の4カ月前の4月12日昼ルーズベルトは突然、63歳で脳溢血により任期半ばで世を去ります。この点について、私見を言わせて頂くなら、ルーズベルトの頭脳は、やはり、正確な判断ができない状態であったと思います。私自身の体験としても、こういったルーズベルトのような症状は、いきなり、痴呆というものになるのではなく「ボケ」というよりも、「ズレ」という形で出てくるもののようだからです。日常会話には支障はないから、極々、身近な一部の人以外このズレには気づかないのですが、逆に、家族や秘書など身近にいるものにはよくわかります。ズレた決定が過去の実績と相まって、深謀遠慮とさえ映る・・・。        さとらこにろはが、、困こっうたいこうと英に雄、のズ微レ妙にな気ズづレいはた、とそこうろいでう、身い近くでらは異な議いを人唱たえちよにうはと、もな、逆かにな意か固わ地かにっなてっもてら一え喝なさいれんるで・・す・。5月号-123

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