おもしろコラム5月号
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  ワーテルローで敗北後、大西洋の孤島に幽閉されたナポレオンはチンギス・ハンの存在を聞き、「余の為したる事は、彼の覇業の前には児戯に等しいものであった」と言ったという話があります。チンギス・ハンが創設したモンゴル帝国は、最大時には、大英帝国に次ぐと言われるほどの空前の版図を獲得したことでも知られています。(もっとも、モンゴル帝国の版図が最大になったのは、彼の死後ですが、彼の存命中だけでも、既に旧ソ連に次ぐ広さを誇っていました。)それだけに、チンギス・ハンといえば、勇猛果敢で戦えば必ず勝つ、上杉謙信のような軍神的イメージを持っておられる方も多いでしょう。しかし、実際のチンギス・ハンは上杉謙信よりはむしろ、徳川家康に近く、その前半生はとにかく辛抱辛抱でした。まず、彼はモンゴル内の統一を果たしたとき、既に四十代の半ばにさしかかっており、六十代半ばで死んでいますから、彼の人生の大半は、ほぼモンゴル内の統一に明け暮れた人生だったといえるでしょう。彼が初めて、自分の軍隊を率いて戦ったのは地方予選(モンゴル統一)の準決勝といっても良い辺りからで、それまではとにかく、敵と戦うに際しては強者と同盟を結んで戦い、同盟相手からどんな酷い扱いを受けてもじっと耐え忍び、勝ったり負けたりを繰り返しながら、勢力を漸増させ、ついには覇者となったわけで、この点でも、苛酷な同盟者織田信長に耐えた家康に重なります。絶対王政の国を作ったということが大きかったようです。他の王朝や部族の多くは、日本でも織田家以外の大名がそうだたっだた、よ彼うのに軍、隊結が局最は終一的族にや他配を下席の巻領す主るたこちとのが連出合来体たで直、接なのか原な因かは、、思信う長よ同う様にに動、い命て令く一れ下な、い右とにいもう左こにともが動あくっ、5月号-129     辛抱のチンギス・ハン    

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