おもしろコラム5月号
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ただ、その土佐藩ですが、まったく奇妙な藩ですね。それほどに下士を抑圧したくせに、坂本龍馬、武市半平太はおろか、彼らよりさらに一段下の出である岩崎弥太郎までも、しっかり江戸遊学を許している。いくら有事の際には一翼を担う・・・と言ったところで、剣術修行なら金メダルを獲ってくる訳でも無し、藩内で十分であり、学問したところで幕僚に登用するわけではないわけで、被支配者階級が都会へ行くなど、百害あって一利なしで、よくぞ許したものだと思います。本来、支配者階級にとって、被支配者層が余計な知恵を付けるのは迷惑至極な話であり、遊学どころか、外部情報からは一切の情報途絶状態に置いておくべきで、実際、彼ら下士が「攘夷」だの「天皇」だのと、余計な情報を知ったからこそ、下士の発言力拡大からやがては大量脱藩などという形に繋がってしまったわけで・・・。この点、古代、大和朝廷などは朝鮮半島や中国大陸からの使節が到着すると、自国の民と親しく交わったりせぬよう厳重に隔離したと言いますし、鎖国を導入した江戸幕府にしても、国民が必要以上に清国人やオランダ人と交流を持つことに神経質なまでに制限を加えてます。そう考えれば、土佐藩というのは随分と「人に優しい藩」だったんだな・・・と。   (文:小説家 池田平太郎絵:吉田たつちか) 201005   /-       5月号-132  

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