おもしろコラム8月号2024
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/-       同じ教育を受けて、同じレベルに達するというのはあり得ない話なわけで、つまり、人は決して、「生まれながらににして平等ではない」わけです。一方で、本人の才能以前に、「金のスプーンをくわえて生まれてきた」という、生まれながらにすべて満たされていた人を揶揄する言葉がありますが、この点でも、少し思い当たることがあります。かつて、私の同級生には対照的な二人がおり、片方はそれなりの資産家の子供でしたが決して成績も良くなく、運動もま得たか、つ努て力、云私々の以同前級に生、に私はが対、照東的大な法二学人部がきおっりて、片の方秀は才そとれいなわりれのた資故産・家岸の信子介供元で首し相たとが同決レしベてル成の績努も力良をくしなくて、、    8月号-106  運動も得意ではなく、風采も上がらなかったのに対し、もう片方は決して裕福とはいえない家庭の子供だったものの、学業優秀、スポーツ万能、長身でハンサムでいつも学級委員をしているようなやつでした。(残念ながら、両方とも私のことではありませんよ(笑)。)で、ある日、ふと、思ったのですが、「これって、金のスプーンをくわえて生まれてきたといえるのは果たして、どっちなんだろう・・・」と。無論、五島昇さんのように資産家の家に生まれ、男前で、成績優秀で、生涯、転落を知らないという人もいますよね。また、人の一生にはどうしてみたところで、幸不幸があるのもまた事実でしょう。それがいけないと言ったところで、人の力ではどうしようもない部分があるわけで。     (文:小説家 池田平太郎絵:吉田たつちか)201008

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