おもしろコラム8月号2024
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んでした。先日、たまたまある古書を読んでいて、この人物についてのことが出てきたのですが、この人は、明治の終わりにドイツ留学に行った際には、「単に軍務だけにとどまらず、国家全体のことについて勉強したい」と言い、さらに、当時の書簡には、軍の軍法会議の閉鎖性などについての批判を始め、なかなかに、先進的な考えが見て取れるます。中でも、印象に残ったのが第1次若槻禮次郎内閣の陸軍大臣時代、それまで、志願してきた人を上等兵以上の「兵」いうことでした。(つまり、「兵」というのは文字通り兵士だが、「卒」というのは、言うならば、従僕、下僕でしかなく、待遇面でも劣悪だったとか。)これは、働き手を戦争に取られた上にたばこ代まで仕送りさせられているという庶民の実態に対し、大いに違和感をもったからだといいますが、こう考えると、この人物は、開明的なのか保守的なのか、軍人なのか政治家なのか、切れ者なのか愚鈍なのか、非情なのか恩情なのか・・・、何ともとらえどころがない人物のようで、私も簡単に評価を下すことができないように思います。ただ、その意味では、こういう人物でないと、あの太平洋戦争の破局へ突き進もうとしていた時代の舵取りは出来なかったのではないかと。そして、それがわかっていたからこそ、彼が総理の座に着くことに「脅威」と感じた人たちがいたと。誰がやっても無理だったのだろうとは思いますが、わずかでも可能性があったとしたならば、宇垣だけだったような気がします。     (小説家 池田平太郎絵:そねたあゆみ)201308/-      と制し」、を徴盾兵にさとれらたれ人、た逆ちにを組一閣等を卒断、念二さ等せ卒らなれどたのと「い卒う」因と果し応て報いとたいのうをべ、き全失部態、か一ら等、兵決、し二て等、兵いないど評の価兵はに持改っめてたまとせ    8月号-110  

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