おもしろコラム8月号
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池田平太郎絵:吉田たつちか)202308「クーデターを未然に防ぐために最も効果的な方法は戦争だ」と言ったのは、フランスの皇帝・ナポレオン三世ですが、うちこそが正統である。そして、超大国・魏に立ち向かうからこそ、国内は結束する。先君劉備の恨みを晴らすとして、呉と戦端を開いても良かったはず。(小説家 源頼朝死後、御家人同士の抗争の中で頼朝の子孫は絶え、代わって、頼朝の岳父・北条時政が御家人の中から台頭。「執権」として鎌倉幕府の事実上のトップとして君臨するようになる。その時政を追放した息子の義時が二代執権として基盤を固め、以後、北条執権体制が定着した・・・かのような観があるが、その実は、むしろ、義時の子の三代泰時の手腕によるところが大きい。父の死後、執権となった泰時は、父や祖父の時代の御家人同士の血で血を洗う権力闘争を継承しなかった。「御家人同士が共存できる体制」の構築に動いたのである。具体的には、その後の徳川幕府の「武家諸法度」にまで影響を与える武家法の元祖とも言うべき「御成敗式目」を制定。それに沿って、御家人同士のもめ事を執権が上手く裁いて行く体制をつくることで、北条政権を維持していく仕組みを作った。これが「北条執権体制」というものの実態であった。だがこれは、見方を変えれば、「三代泰時が優れた調整能力を発揮することで運営できる政治形態」であったとも言え、事実、泰時が死去し、後継者となった孫の四代経時も若くして世を去ると、たちまちのうちに執権派と将軍/-第4章 歴史のコラム            調整型のための大日本帝国憲法8 月号 -125

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