おもしろコラム8月号2024
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これらを可能にしたのはピザ職人の腕前ではなく機械化のおかげと言えるでしょう。最初イタリア人だけのものだったピザが、アメリカに渡りやがて大手チェーン店で、全世界で気軽に食べることができるものとして広まったのです。日本でもピザを提供するお店は昔からありましたが、広く食べられるようになったのは、大手チェーンが進出した      (巨椋修(おぐらおさむ):食文化研究家     明治時代 夏の氷はアメリカから輸入していた暑い夏、この時期私たちがもっとも気をつけなくてはならないのが「食中毒」です。食中毒は季節に関係なく発生しますが、特に夏の暑さと湿気で細菌が増えやすく、多くの人が苦しみ、中にはなくなる方もいます。戦前から戦後の1960年代くらいまで、毎年300人ほどの人が食中毒で亡くなってしまっていたのです。それが減った原因はいくつかありますが、衛生管理が発達したのと、冷蔵庫・冷凍庫の普及による食の保存にあります。私たちはこのテクノロジーにもっと感謝すべきでしょう。絵:吉田たつちか)202308●夏の大敵食中毒    /-  60年代から年々食中毒患者は激減して、現代では年に数人まで減りました。8月号-5980年代あたりからです。

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