東海岸にあるボストンから船で氷を輸入しはじめます。当時はまだ西海岸から直接日本に行く航路はありません。ボストンから西アフリカに行き、南アフリカの喜望峰をぐる〜とまわって、インド洋を航海してと、当時、米国から日本まで3〜5か月かかりました。当然、日本につく頃にはかなりの氷が溶けていました。当然お値段は超高価。 それを知った横浜で初代英国公使のオールコックのもとでコック見習いをしていた中川嘉兵衛さん。中川嘉兵衛さんは当時すでに40代でしたが、ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士から、食品の保存に氷が有効と教えられ、製氷業を思いつきます。中川嘉兵衛さんは、その前に牛肉や牛乳の販売店を開業したりしていましたから、文明開化のこの時代、牛乳・牛肉が将来の日本で必要だという先見の明があったのでしょう。当時の40代はいまの60代と同じようなものですから、相当柔軟な頭脳の持ち主だったのでしょうね。最初は富士山など本州の寒冷地に氷室を作って横浜に運んでいましたが、やがて北海道の函館・五稜郭から氷を運んで大成功したといいます。やがて、氷は天然氷から工場で製氷する機械氷が中心となり、戦後電気冷蔵8月号-61庫の普及により、一般家庭でも氷を作ることができるようになりました。●牛乳・牛肉、そして氷を広めた男
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