おもしろコラム8月号2024
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開いた・・・、特に戦争終結の見通しを持たずに開戦したことは、あまりにも軽率な行動だったと責められても仕方がないと思います。     (小説家      昭和29年、広岡達郎が、早稲田大学から巨人に入団したとき当時、巨人には、主力選手として「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治がいました。広岡と川上の確執は、改めて言うまでもなく野球ファンにはかなり有名な話ですが、特にその昭和29年という年はさしもの「神様」川上も衰えが見え始めた年で、実際、川上はこの4年後に引退し、対照的に広岡はこの年、新人王を取っています。この年、不調に苦しんでいた川上が遠征先の旅館で、素振りを繰り返していたところへ広岡が軽い気持ちで顔を出    /-  なぜ、広岡はこんなことを言ったのか?し広、「岡カ曰ワくさ、「ん自も分、の苦兄しとん川ど上るがん同じじゃ年けだのっーた。」かとら一、言兄・貴・の・よ。う川な上気は分青でざ接めしたて形し相までっ広た岡」をの睨だみそ付うけでたすと。言がい、「ま神す様。」8月号-97池田平太郎絵:吉田たつちか)200808 自分の好物は他人も好物!

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