おもしろコラム 巨椋 修
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が百福さんの発明したインスタントラーメン作りを採用。それらの企業と連携し、製造年月日を記載するなどし、一度落ちた信用を回復しようとしたのです。 人として勇気がいる決断だったと思います。特許があるわけですから、自分の作り方は一社で独占のですから。しかし百福さんの考えは独占ではなく、良い技術を公開し、多くの企業と競争することで、より美味しく、より安く、より安心してインスタントラーメンを作り、粗悪な企業を締め出そうという考え方です。1964年、『社団法人日本ラーメン工業協会』(現日本即席食品工業協会)が設立。初代理事長は百福さんが勤めることになります。結果的に百福さんの考えは成功しました。いまや、インスタントラーメンは全世界で年間1000億食が食べられるようにまで成長したのです。そしてカップめんを開発したのも百福さん。60年代チキンラーメンをアメリカに売り込みに行ったとき、アメリカには丼がなく、商談相手の女性が、チキンラーメンをカップに割り入れて食べたのがヒントであったそうです。では最後にチキンラーメンのエピソードを一つ。清国最後の皇帝で、宮廷料理を食べまくっていた愛新覚羅溥儀が好んだのがチキンラーメンでした。皇帝から平民になって貧しくなったからではありません。溥儀は特権階級者として暮らしていたのです。つまりラストエンペラーはチキンラーメンが本当に好きだったようなのです。これは企業99        

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