おもしろコラム 巨椋 修
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このままでは日本に大量の餓が死し者しが出てしまうと思った日本政府は、アメリカに頭を下げて家畜用の飼料を分けてもらうことにします。その中には戦後の学校給食でまずいと言われていた脱脂粉乳なども含まれていました。学校給食が充実するようになるのは「学校給食法」が制定された昭和29年からと言われています。  学校給食が日本の食文化に大きな影響を与えたのは、はやりパンと牛乳による食の欧米化でしょう。戦前の日本人はカロリーの8~9割をお米から得ており、栄養も偏ったものでした。戦前日本人の白飯好きはかなりのもので、白米の多食によるビタミンB1欠乏症である脚気の原因が白米の食べすぎであることがわかった後でも日本の軍隊はビタミンB1が含まれているパン食を嫌い、白米の多食を続けていたほどです。しかし、育ち盛りの子どもにとっては食欲を満たすことが第一。給食で日本人が嫌っていたパンを食べ、評判の悪い脱脂粉乳を飲みました。60年代には脱脂粉乳から本物の牛乳がとって代わられ、給食に出てくるシチューやカレー、フライ、パスタなど洋食が子どもたちの成長とともに広まっていきます。農林中央金庫が昭和55年(1980)調査した『国民食生活と学校給食』によると、学校給食を食べていた時代に好きだった食べ物は、大人になってからも好きであるとの結果が出ています。学校給食は戦後日本人の味覚や好みも変えていったのかも知れません。かたよ学校給食で広まったパンと牛乳117      ゃ

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