おもしろコラム 巨椋 修
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と考えられています。ちなみに和食の定番お刺身は天武天皇の時代である飛鳥時代からありました。   その後和食は中国からやってきた禅宗の精進料理の影響を強く受けます。禅僧は空腹や冬の寒さを避けるために温めた石を懐に入れていたところから、懐石料理が生まれます。一説によりますと、懐石料理を考案したのは茶道の千利休だと言われています。茶の種を輸入にしたのは禅宗の一派である臨済宗開祖の栄西が、中国より持ち帰ったと言われています。禅宗を介して入ってきた茶はやがて茶道を生み、精進料理から懐石料理が生まれ、和食に大きな影響を与えたのです。千利休は戦国時代の人ですが、この時代和食に大きな影響を与えた人たちがいます。それは西洋からやってきた宣教師をはじめとする西洋人たち。例えば卵料理は江戸時代に『玉子百珍』という料理書が出るほど愛された卵料理ですが、西洋人が入ってくるまでどういうわけか、日本人はほとんど食べなかったといいます。卵以外には後に和食を代表することになる天ぷら。これは魚などを油で揚げたり衣をつけてフライにしたものが和食化したものです。徳川家康が鯛の天ぷらもしくは油揚げに当たって亡くなったことは有名ですね。南蛮料理と言われた西洋料理ですが、日本で広がったのは当時やっと普及しだした砂糖を使ったカステラ、コンペイトウ、ボーロお菓子でした。精進料理と西洋料理の影響 123      

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