おもしろコラム 巨椋 修
130/318

敗戦後に欧米の文化が怒涛のように入ってきました。実はもうひとつ、日本の食文化が激動した時代があるのです。それは関東大震災。  1923年(大正12年)9月1日、帝都大東京に未曾有の大地震が襲いました。死者行方不明者が10万5千人、東日本大震災の死者行方不明者が1万9千人であったことと比べるといかに被害が大きかったかがわかります。関東大震災は大量の生活困窮者を生んでしまうことになります。政府はその生活困窮者を救うために安価で食事ができる公営の「公衆食堂」の設置を進めたのです。「公衆食堂」は大正9年に神楽坂に生活困窮者のために作られたのが第一号ですが、関東大震災まで公衆食堂を利用するのは、本当に困窮している底辺層のみで、一般の人はあまり利用しませんでした。その理由のひとつがまだ日本には外食の文化があまり浸透していなかったこと。基本、家で食事をするかお弁当です。あとはせいぜい屋台で食べる程度。それ以外の外食といえば料亭などですから、庶民は外食とかはそうそうできません。しかし関東大震災で大量の困窮者が出て、一般人も食堂で食事をするという外食文化が少しずつ根付いていったわけです。外食という文化が根付いてくると、当然民間でも食堂をやる人たちが出てきます。その人たちが目をつけたのが、それまで高級だった西洋料理を、庶民でも食べることができるよう安価で提供しようとするものでした。  関東大震災が外食を広めた外食文化から洋食が広がった129     

元のページ  ../index.html#130

このブックを見る