おもしろコラム 巨椋 修
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ニッポン牛乳史です。「卓し袱ぽ料理」とは長崎の中国料理のこと。明治時代になり、横浜などで外国人相手に食事を出したりする宿を「ちゃぶ屋」といいました。町にも西洋料理や中国料理のお店が出るようになります。その店のテーブルが「ちゃぶ台」と呼ばれるようになります。それまで日本の料亭や居酒屋、茶屋にもテーブルで食べるなんてことはありませんでした。だから時代劇の居酒屋なんかで、テーブルを囲んで酒を飲んでいるってのは間違いってことになりますね。その「ちゃぶ台」も、関東大震災までは家庭に入っては来ませんでしたが。震災という大破壊の後一気に広まったと言われています。まあ、家族で食事をしているとき、お醤油ひとつ取るのも、片づけるのも一人ひとつのお膳よりちゃぶ台の方が楽ですものね。という具合に、関東大震災は、食文化にも大きな影響を与えたのでした。時代が激動するときは食文化も激動するのです。     先日、大河ドラマの『青天を衝け』を観ておりますと、最後の将軍として有名な徳川慶喜が少年時代に毎日牛乳を飲んでいたというシーンが出てきました。江戸時代、日本人のほとんどは牛乳を飲む習慣がなかったので「めずらしくっ      131

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