おもしろコラム 巨椋 修
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に嫌われるようになってしまっていたんですね。江戸時代では、暴れん坊将軍徳川吉宗が幕府官営牧場でインド産の乳牛を最大で70頭ほど飼育し、牛乳・バタ―・チーズを製造していました。 11代将軍徳川家斉は、側室が20人以上いて55歳までに53人もの子どもを作った「精力大将軍」ですが、家斉は吉宗が作った牧場でとれた牛乳から白は牛ぎ酪らというチーズのようなものを精力剤がわりに食べていたといいます。チーズを食べて子どもが53人とは牛乳パワーおそるべし!家斉は家臣に『白牛酪考』という書物を執筆させ、白牛酪の効能を広めようとしました。また最初に書いた最後の将軍徳川慶喜の実父である水戸藩主徳川斉昭は乳牛牧場を開設し、毎朝牛乳を飲み、お酒も牛乳割にするほどの牛乳好きでした。この時代まで牛乳や乳製品は、食品というより薬としての位置づけだったようです。そして時代は明治となります。明治新政府は日本人の体格が西洋人に比べてひどく貧弱であったため、肉食とともに牛乳を飲むことをすすめますが、なんといっても大衆は「牛乳は牛の血である」「牛乳を飲んだら牛になる」と思っているわけで、なかなか飲もうとはしません。そこで明治天皇に牛乳を飲んでいただきそれを新聞などに「天皇は毎日2度牛乳を飲んでいる」と掲載させることで、牛乳が一気に広まっていったといいます。考えてみれば天皇を広告塔にしたのですからすごい話ですね。ただこの時代の牛乳はまだ殺菌されていなかったので、衛生面で問題がありました。当時はブリキ缶に牛乳を入れ、ヒシャクで量り売りをするスタイルだったのです。それが明治33年(1900年)内務省は牛乳営業取締規則を公布し、容器がガラスびんになりました。しかしやはり日本人が牛乳を日常的に飲むようになったのは、太平洋戦争後の学校給食に導入されてからでしょう。ゅう133      くく 

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