おもしろコラム 巨椋 修
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といっても良かったでしょう。特にラーメンは中国人以外では日本人下層労働者が食べるものといっても良かったものです。しかし終戦後の食糧不足の時代、安いラーメンは中流の日本人に親しまれるようになります。チャルメラ(インスタントラーメンではなく屋台のラーメンが町を歩くときに吹く木簡楽器)の音にひかれてラーメンを食べる学生やサラリーマンが出てくるようになります。やがて中華料理屋のラーメンも人気が出てくるようになります。終戦後、仕事を失った人が屋台等でラーメン屋を開いたり中華料理屋を開いたりするようになりました。終戦後に、日本において中華料理屋の店主、あるいはラーメンの屋台の店主=中国人ではなく、日本人となっていったのです。そしてラーメン屋はどんどんと中華のイメージから離    れ、日本的になっていきます。昔のラーメン屋ののれんは赤布に白抜き。しかし現在のラーメン専門店ののれんは、もっとシックに黒布に白抜きが多くなり、昔のラーメン屋のカウンターは赤。しかしいまはもっと日本風に地味になりました。ラーメンの丼は、昔赤いボディに中には四角い渦巻きマーク(正式には雷文(らいもん)といいます)や龍や鳳凰の絵は少なくなり、白や黒に店名が書いているだけのもの。昔は白いコック着だったのが、163

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