おもしろコラム 巨椋 修
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流は行やるようになってしまいました。ところが蕎麦をよく食べる人に脚気になる人が少なかったのです。蕎麦にはビタ橋~横浜間からはじまったのですが、駅弁はというと明治18年7月16日、大宮~宇都宮間の開通と同時に宇都宮の旅館・白木屋が駅で弁当を売り出したのがはじまりと言われています。最初の駅弁は梅干し入りおにぎり2個とたくあん2切れを竹の皮で包んだもの。お値段は5銭だったといいます  かつては少量のお酒は健康にいいと言われていましたが、確かに心し疾し患かなどには少量飲酒は発症リスクが少ないとの論文もあるのですが、最近の研究ではそれ以上に身体への悪影響が多く、うつ病や認知症リスクも高まると言われています。他にもスポーツや筋トレをやっていても、そのあとにお酒を飲んでしまうと、トレーニング効果をかなりの部分阻害してしまうことがわかっています。っ んっん なのですが、精白してしまうとビタミンが無くなってしまいます。そのため江戸ではビタミンB1欠乏症である脚か気けが東京は蕎そ麦ば、大阪はうどんと言われますが、そうなったのは江戸時代から。江戸は他国のようにご飯に雑穀を混ぜたりせず、白米を大量に食べる食文化でした。お米は玄米ですといろいろなビタミンが入っていて栄養も豊富ミンB1がたくさん入っていたのです。もちろん江戸時代はまだビタミンなど発見されていませんでしたが、江戸っ子ウソ 「♪汽笛一声新橋を~」ではじまる「鉄道唱歌」で知られるように、日本における鉄道の開業は明治5年、新ウソ ホント お酒は少量だと健康にいい江戸で蕎麦が流行ったのは脚気予防174

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