おもしろコラム 巨椋 修
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そう、江戸時代の駄菓子、文字焼きから東京下町名物もんじゃ焼きに発達していくのです。文字焼きは一方でもんじゃ焼きに。一方でお好み焼きに枝分かれしていったのでした。  大正時代のお好み焼きの屋台メニューには、なんと天ぷらやビーフステーキ、寄せ鍋、寿司なんてものがあります。子ども相手の駄菓子ですから、もちろん本物ではありません。水で溶いた小麦粉を薄く鉄板に塗る。そこに天ぷらなりステーキなりの、味付けをしたり、それっぽいものを乗せたりしウスターソースや醤油、あるいは黒蜜などを塗って食べさせる。いわばモノマネ料理だったのです。お好み焼きなのに黒蜜?って思った人もいるかも知れませんね。現在のお好み焼きはほとんどがソースですよね。でも戦前のお好み焼きは子どものお小遣いで食べるもの。鉄板に溶いた小麦粉、例えばその上にお餅やアンコを乗せて食べるのもお好み焼きの一種。この甘味としてのお好み焼きが、生き残って現代に伝わっていれば、和製クレープになっていたかも知れませんね。天ぷらもステーキもお好み焼き?180   

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