おもしろコラム 巨椋 修
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  東京下町生まれのお好み焼きが、全国、特に大阪や広島に伝わったのは大正時代の終わりから、関東大震災の後、各地に避難してきた人たちが伝えたようです。このときの名前は『一銭洋食』や『洋食焼き』関西では小麦粉のメリケン粉(アメリカの小麦という意味)と呼び、洋食はウスターソースが定番でしたから、まさに一銭で食べることができる洋食風という感じだったのでしょう。神戸では『にく天』と呼ばれ、牛スジ肉やコンニャク、キャベツを入れて焼くなど現在のお好み焼きに近づいていきます。お好み焼きが大阪や広島で発達するのは、戦後からのようです。終戦後はコメ不足。アメリカからの支援で小麦粉は比較的安価で手に入ります。これにキャベツをどっさり入れてかさ増しする。食糧難でお肉が高価だからイカなど海産物を入れて焼く。肉や玉子が手に入るようになれば、それらを入れる。大阪ではお好み焼きのメニューを『豚玉』『イカ玉』などと言いますが、これは食糧難の時代、玉子が入っていると高級感が出るからだとか。ちなみに東京では『豚天』『イカ天』となります。これは大正時代、子ども相手のモノマネ料理だったころ、それぞれの天ぷらを模した味(もしかしたらちょこっとくらいは本物が入っていたかもしれませんが)の名残のようです。お好み焼き大阪広島に進出す!181      

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