おもしろコラム 巨椋 修
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こういったことがわかるのは、いろいろな遺跡や縄文人の骨を分析するから。例えば『糞石』という排泄物の化石から、どんなものを食べていたかがわかったり、骨を分析することで、どんな食べ物からタンパク質を摂っていたかがわかるのです。北海道の縄文人は、オットセイやイルカに魚貝からタンパク質を多く摂り、それ以外の縄文人は、イモや木の実から多くのタンパク質を摂っていたことがわかっています。後に弥生人が日本にやってきて、稲作中心になるのですが、日本人はそれ以前から、イモや木の実などから、多くのタンパク質と炭水化物を摂っていたようです。  縄文人は全国で一番多かった時代26万人もいました。全国で26万人って少ない? は、広大で豊かな自然が必要です。26万人という数字は、世界の狩猟採集人としては、人口過密状態だったのです。人類は長く狩猟採集をしながら世界に広まっていきましたが、世界の総人口が400万人まで増えたとき、人類は狩猟採集だけでは文字通り「食べていけなくなった」のです。食べていけなくなったとき、人類が考え出したものが農耕であったといわれています。  いいえ、狩猟採集生活を営むに最高26万人いた縄文人 そして農耕と牧畜が生まれた世界狩猟採集民は400万人が限界209       

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