おもしろコラム 巨椋 修
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農耕と牧畜によって余剰が生まれ、さらに町や都市ができ職業が分業となると、塩だけを生産する人たち、蜂蜜を養ったり集める専門家、いろいろな種類の作物が町や都市に集まってきます。いろいろな食材を組み合わせる精密化した料理が作れるようになりました。料理道具としても、フライパンやオーブンもありましたから、近代的な料理が文明の発祥時からあったと思って間違いはないでしょう。  遠い古代メソポタミアや古代エジプトの話しでは、やはりあまり身近に感じられないかも知れませんね。日本では紀元前4世紀ごろから紀元3世紀ごろの弥生時代が、農耕のはじまりとされています。もっとも、その少し前の縄文人たちも、稲作などの農耕をやっていたのではないかという説が有力になりつつあるようです。それはさておき、本格的な稲作を日本に持ち込んだ弥生人。弥生時代にはコメの他に、コムギ、アワ、ヒエ、アズキなどの雑穀が栽培されていたことがわかっています。縄文人から弥生人への食文化的変化は、主食と副食が生まれたことでしょう。米、麦といった五穀が主食。その他のおかずが副食です。それまで主食副食という考え方はありませんでした。これは欧米もそうで欧米には主食副食という考え方は、あまりありません。この主食と副食、ごはんとおかずという食文化が後の和食の原点となります。日本人独特の食事の仕方に「口中調味」という方法があります。ごはんと副食を口の中に入れて噛みしめ混ぜ合わせる食べ方ですが、この食べ方は欧米はもちろん、中国や韓国にもないのです。弥生人の食文化が和食の原点212        

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