おもしろコラム 巨椋 修
239/318

鞋わらじ、笠に蓑み、ワラで編んだロープ、刻んで肥料にもします。敷物の畳表、ござ、米俵に神社のしめ縄に呪いの藁人形世界で豆を発酵させて作る『納豆』を食べるのは、基本的に日本だけ。なぜ日本で納豆が生まれたのかは、確かなことはわかっていませんが、少なくとも平安時代には食べられていたそうです。日本に稲が伝わったのは弥生時代ですが、納豆はワラに煮た大豆をくるんでしばらくするとワラらに付着している納豆菌が発酵してできるもの。納豆が生まれたのは、我々日本人が多民族以上に稲やコメを愛し、大量に作って食べていたからに違いありません。なんでも江戸時代、日本人は一日5合ものおコメを食べていたそうです。これがどれくらいの量かというと、おコメを炊いたごはんをお茶碗に軽く2杯分といったところですから、毎日ざっとお茶碗10杯弱のごはんを食べていたことになります。それだけのおコメを作るとき同時に大量のワラが出ます。日本人はワラも最大級に利用します。履物は藁わ草ぞ履りに草……、と、いたるところでワラを使っていました。  それほどワラに親しんでいる日本人です。おそらく納豆が日本で生まれたのも、日本人がそれだけワラに近いからであったからでしょう。一説には、煮た大豆をワラで編んだ俵のようなもので運んでいるうちに発酵したのがはじまりではないかというもの。あるいは、ゴザやムシロのような敷物に煮た大豆を置いているうちに自然発酵したという説もあります。他に源義家が奥州(いまの岩手県)に遠征にいったとき、地元の農民に大豆を馬の飼料として煮た大豆を差し出さ納豆発祥の謎238   の らう   

元のページ  ../index.html#239

このブックを見る