おもしろコラム 巨椋 修
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穢れた肉』という思想があったとと、あまりにも米が美味しすぎたことにあると推測できます。前にも書きましたが、江戸時代の日本人は1日5合の米を食べていました。それだけで1日に必要なたんぱく質をほとんど摂取することができました。そして日本のお米は、例え肉がなくても満足できるくらいに美味しすぎた。米だけでたんぱく質をほぼ摂取できるのですから、ある意味、米さえお腹いっぱい食べられたら、それほど肉への欲求は起きなかったのでしょう。ただし玄米は完全食ですが、白米となるとその栄養分をかなり削りとられ、さらにビタミンB群もとってしまうので、白米の過食は脚気(ビタミンB1欠乏症)になりやすいという欠点があります。日露戦争の兵隊さんたちは「兵隊に入ったら、白いお米を腹一杯食べられる」というので集めたため、白米ばかりを食べ続け、多くの人が脚気にかかり、日露戦争の日本系戦死者・病死者約75%もいたというから、逆にいえば、どれほど日本人がお米を求めたのかがわかります。日本人は牧畜の習慣がなく、また牛乳の飲む習慣もありませんでした。飛鳥平安時代にはヨーグルトやチーズのようなものを作ったりしており、また江戸時代では将軍吉宗が牛乳を飲んだという記録はありますが、基本的に当時の日本人は牛乳を飲んだり乳製品を作ったりすることはありませんでした。江戸時代の商人で、大黒屋光太夫という人物がいました。船でロシアに漂流し、ロシア人に助けられ、なんとユーラシア大陸を横断し、サンクトペテルブルクで女帝エカテリーナ2世と謁見した後に日本に帰国したという数奇な  日本人は牛乳も飲まなかった79       

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