おもしろコラム 巨椋 修
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伴四郎が残した日記は、現代でも評判でテレビドラマ化や漫画化されていたりもします。伴四郎は28歳、江戸屋敷内の長屋に上司でもある叔父と同僚の3人暮らし。高給取りではない彼らの食事は当然自炊となります。男子、まして武士は厨房に入らず? を作っておりました。江戸の人たちは朝にごはんを炊くのが普通ですが、大阪など上方ではごはんはお昼に炊きます。伴四郎たちは紀州、いまの和歌山の人ですから大阪文化圏ということで彼らはお昼にごはんを炊くのです。現在は一日の中心の食事は夜ですが、伴四郎たちはお昼ごはん。夜と朝はカンタンに済ませていたようです。ちなみにヨーロッパなどでも、一日の中心になる食事はお昼で、朝と夜はあっさりしているようです。お昼ごはんが中心といいつつ、そこは下級武士、なかなか高い食材は買えずイワシなど安い魚を買ったりとやりくりに苦労していたようです。ただ、今と違って炊飯器がない時代。伴四郎たちはごはんを上手く炊けず、焦がしたりおかゆになったりといった失敗談も、日記に残っています。お昼に多めに作って夜や翌朝に食べたりするのですが、伴四郎には強敵がいました。上司で叔父の宇治田平三です。日記には「叔父さま」と書かれているのですが、伴四郎が楽しみにとっておいた料理を叔父さまが、いつの間にか食べてしまうのです。伴四郎はそのたびにくやしがったのが、日記に描かれています。とんでもない! 安くておいしいものを食べるために、彼らはせっせと食事江戸ではごはんを朝に炊き、大阪では昼に炊く食文化88          

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