おもしろコラム 巨椋 修
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  この百福さん、実に数奇な人生を送っているのです。まず彼の生まれは日本統治下にあった台湾生まれの台湾人でした。台湾名は呉百福。早く両親を亡くした百福さんですが、子どもの頃から料理が大好き。朝のごはんやお弁当は妹の分も含めて自分で作っていたといいます。 21歳で繊維会社を設立、日本からメリヤス(ニット)を仕入れて大成功。翌年には台湾から大阪に進出。大阪で繊維問屋を設立しこれも大成功。この時期、百福さんは事業をしながら夜間の立命館大学に学ぶという努力家でした。百福さんの事業は、繊維にとどまらず貿易や飛行機のエンジンの製作と多岐にわたるものの、まだまったく食品とは関係ないものばかりだったのです。このとき百福さんは日本有数の大金持ちになっておりました。  やがて太平洋戦争がはじまると、百福さんは軍用機のエンジンの製作にも携わります。しかし、軍用の支給物資がが何者かに盗まれるという事件が起こりました。ところが捕まったのは被害者の百福さん。捕まえたのは憲兵隊でした。実は憲兵隊の伍長の親せきが盗んでいたのです。もしかしたら百福さんが大金持ちであることへのやっかみや当時差別の対象であった台湾人で、成功者であったことが関係していたのかも知れません。憲兵隊に捕まった百福さんは棒で殴られたりと、かなりひどい拷問を40数日間受け続けたといいます。憲兵とし実業の世界で日本有数の大富豪になる開戦、無実の罪で憲兵から拷問! 91     

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