おもしろコラム 巨椋 修
93/318

ては、百福さんが嘘の供述さえすれば、親せきの罪は百福さんに擦り付けることができるのですから、ことさらひどい拷問であったようです。実際、この当時警察や憲兵の拷問で死亡した人もいたほどです。しかし百福さんは嘘の供述はせず、知人である有力者のとりなしで釈放されます。そして終戦食前の昭和20年3月21日、百福さんは政財界や文化人が集まる大阪倶楽部というサロンで受付をやっていた安藤仁子さんに一目ボレ、猛アタックのすえ結婚します。この安藤仁子さん(朝ドラ『まんぷく』の主人公のモデルですね)、かなりモテモテであったらしく、かつてホテルで受付をやっていたころ、仁子さんを好きになって缶詰をコッソリ渡してくれる従業員がいたり、他にも結婚を申し込んでくる男性もいたのですが、お断りすると、なんとその男性が自殺してしまうということもありました。一方、百福さんは、実のところ郷里の台湾に2人の妻がいたのです。当時の台湾では一夫多妻は認められており、また日本と台湾は戸籍が別でしたので、重婚罪とはならず仁子さんは正妻ということになります。そしてこのとき百福さんは名前を呉百福から安藤百福と変えます。  なんとか命はとりとめたものの、百福さんの住んでいた大阪はひどい空襲で、百福さんは疎開。その疎開地で終戦の知らせを聞きます。終戦になると、日本を食糧難が襲います。これまで食品産業と無縁だった百福さんですが、おなかを空かせた人々が並んでまで屋台のラーメンを食べているのを見て、食糧に携わることを決意したといいます。百福さんが最初に手掛けたのが食塩作りや漁業。地元の若者を大量に雇い、給料以外に奨学金を渡していると、そ終戦、GHQから財産没収!92       

元のページ  ../index.html#93

このブックを見る