おもしろコラム1月号2024
123/176

②ラドガ湖北岸地帯の割譲。③ペツアモ地方の割譲。④ハンコウ半島の譲渡。という、当時のフィンランド大統領が発狂したほどの苛酷な条件を押しつけられた。結局は、無駄な血を流して、和平条件を厳しくしただけ・・・という結果に終わったわけで、開戦前に、マンネルハイムの進言に従うべきだったのである。1941年6月22日、今度は独ソ開戦となるや、フィンランドは進攻してきたドイツ軍とともにソ連を攻撃することになり、フィンランド軍は8月末には1940年に失った領土を回復。マンネルハイムは将来のことを考え、「ここで停止する」と強硬に主張したが、ドイツ軍はこれを許さず、フィンランド軍は東カレリアを攻略してムルヤンスク〜レニングラード鉄道に迫るという有利な態勢となった。1944年1月、ドイツ敗退に伴いソ連軍は逆襲に転じ、6月、カレリア地峡の国境を突破したため、フィンランド軍は苦戦に陥り、8月1日、リーティ大統領は辞任し、後を受けたマンネルハイムは9月14日、ソ連と停戦協定を結んだ。主なる条件は、①ポッカラ地区(ヘルシンキ西南万)地区を50年間ソ連に租借させる。②オーランド諸島(フィンランド湾出口)を非武装化する。③ペツモア地区をソ連に割譲する。④3億ドルの賠償金を6年以内に支払う。⑤1940年の国境を認める。1月号-123

元のページ  ../index.html#123

このブックを見る