おもしろコラム1月号2024
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比ぶれば煙は薄し 桜島山」       内戦と寛容 「我が胸の 燃ゆる想いに             郷土、筑前福岡藩が生んだ数少ない勤王の志士、平野国臣の句です。聞いただけで勇壮な気分になるような、まさに名句と言っていい一句ではないでしょうか。さて、以前、福島県の友人と一緒に鹿児島へ行った折、「おまえら薩長は敵じゃないのか?」とからかったところ、彼ら曰く、「いや、薩摩はまだいいんだ。会津の恨みが激しいのは長州に対してなんだ」とのこと。これは私には少し意外で、「長州は最初から敵だったからまだいいけど、薩摩こそ途中から裏切った怨敵」と聞いておりましたので。その旨を言ったところ、「戊辰戦争における会津の恨み」というのは、戦争その物よりも、戦後、勝者である長州軍が、会津側戦死者の遺体を埋葬させなかったからだそうで、これこそは、即ち、戊辰戦争というものが「内戦」という意識が当事者間にカケラもなかった戦争だったと言うことだったと思います。内戦というものを戦う上では、忘れてはならない、一つの重要なキーワードがあります。それこそが、「寛容」というものです。これは、何も内戦に限ったことではなく、戦後も、そこを自国の領土として併合する意図がある場合などでも同じです。この点は、数々の内戦を繰り広げてきた古代ローマ人の戦いにこそもっとも、顕著に表れていると思います。即ち、異民族、蛮族など、自分たちに同化しようとはしない外敵には、見せしめというものが必要ですから、皆殺1月号-133       

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