おもしろコラム1月号2024
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次に、徴兵され、配属された連隊で上官となった古参上等兵が日本を代表する名優・三船敏郎。三船は元々、写真館の息子であり、写真技術について、手取り足取り教えてくれたそうで、戦後氏が東宝へ戻っく、「枠が空いたら、撮影技師の方に引っ張るから、とりあえず、俳優の面接を受けろ」と言われ、渋々、俳優部門へ所属したことが、その後の「世界のミフネ」と呼ばれる活躍に繋がったのだとか。そして、戦後、生活苦から漫画家になったところ、突然、彼の家を訪ねてきたのが、漫画の神様・手塚治虫。手塚が懇意の出版社への寄稿依頼だったそうですが、二人は意気投合し、一緒に原稿を描くほど親密になったとか。で、その際、氏は手塚の描き方を見ていて驚愕したそうです。普通の人は一コマ目、二コマ目と順に終わらせていくのに対し、手塚は一コマ目を描いていたかと思うと、3コマ目を仕上げ、5コマ目に飛び、2コマ目に戻るという描き方で、それでいて、終わってみれば、完璧な原稿ができていたと。実は、私はこれと同じ光景を見たことがあります。コンピューターの製図作画ソフトCADです。今、学校を病気中退し、初めて就職した東宝で、上た司らと、な三っ船たもの撮が影特技撮師のと神な様る・べ円く谷東英宝二に。来円た谷がは、社戦内後でのは復不員遇でな枠時が期にな    1月号-140  あったらしく責任者と言いながら一人の部下もなく、頼めるのは学生服姿の新入社員のうしお君のみ。このため、手伝ううち、自然に特撮というものを伝授されることになったと。  

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