おもしろコラム1月号2024
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行かせないので、「どういうつもりだ」とねじこんだら、「そなたが水戸へ行けば、水戸の連中の嫉妬心を引き起こして、結局はそなたの身に害を生ずる恐れもあるから行かせないように」という慶喜の配慮だったと言われたと。栄一は改めて、自らの短慮を恥じる一方で、人の気持ちなどわからないような貴公子慶喜の意外な一面を見た気がしたでしょうか。栄一は生涯、慶喜を崇め、その名誉回復に奔走。さらに、莫大な金と時間をかけて、慶喜の事績を正確に後世に伝えたいとの思いから、「徳川慶喜公傳」を刊行しています。慶喜は年齢的には、栄一の3歳年上でしかありませんが、両者の間にあったのは「友情」などではなく、文字通りの君臣関係。これが、本来あるべき、「御恩と奉公」の関係だったのでしょうね。      (小説家         多産は繁栄の象徴黒田官兵衛という人がいます。言わずと知れた豊臣秀吉の名参謀で、豊前中津の領主を経て、筑前福岡藩の始祖(初クハラ事件が起きている昨今にあってはまさしく「夫の鏡」でしょう。代が藩、主現は代息で子はの「長家政族)はと子な供っ2た人人と物妻で1す人が!、」妻とはい正う室ののはお笑光いさ話んでのすみがだ、っ当た時とといしうてこはと、で珍、し世い界こ中とで・呆・れ・るをほ通どりに越セ1月号-143池田平太郎絵:吉田たつちか)202301         /- 

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