おもしろコラム1月号2024
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て食べさせる。いわばモノマネ料理だったのです。お好み焼きなのに黒蜜?って思った人もいるかも知れませんね。現在のお好み焼きはほとんどがソースですよね。でも戦前のお好み焼きは子どものお小遣いで食べるもの。鉄板に溶いた小麦粉、例えばその上にお餅やアンコを乗せて食べるのもお好み焼きの一種。この甘味としてのお好み焼きが、生き残って現代に伝わっていれば、和製クレープになっていたかも知れませんね。東京下町生まれのお好み焼きが、全国、特に大阪や広島に伝わったのは大正時代の終わりから、関東大震災の後、各地に避難してきた人たちが伝えたようです。このときの名前は『一銭洋食』や『洋食焼き』関西では小麦粉のメリケン粉(アメリカの小麦という意味)と呼び、洋食はウスターソースが定番でしたから、まさに一銭で食べることができる洋食風という感じだったのでしょう。れて焼くなど現在のお好み焼きに近づいていきます。●お好み焼き大阪広島に進出す!  お神好戸みで焼は『きにがく大天阪』やと広呼島ばでれ発、達牛すスるジの肉はや、コ戦ン後ニかャらクの、よキうャでベすツ。を終入戦1月号-45

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