おもしろコラム1月号2024
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国時代宣教師など西洋人が来るまで、もっぱら姿や鳴き声、闘鶏を楽しんでいたらしいのです。日本では古来、鶏は「朝を告げる神聖な鳥」とされていました。また古代エジプトでも古代ローマでも多くの国で神の使いとして神聖視されていたのです。日本神話にも天岩戸に引きこもったアマテラスを出すために、太陽を呼ぶ鳥とされた長鳴鳥(ながなきとり・鶏)の鳴き声でアマテラスを外に出そうとするエピソードが出てきます。さて、そんな神聖視されていた鶏ですが、江戸時代になると、鶏肉も卵も食べるようになります。とくに卵は『卵百珍』という料理書が出るほどでした。鶏肉はというと、日本人は肉を鍋にするのが好きみたいで、1643年(寛永20年)の『料理物語』に「南蛮料理 名物として出ています。南蛮料理というのは西洋や東南アジアなど外国のことですから、最初は西洋人あたりから伝わったのかもしれませんね。 「古鶏代ので水は炊神き聖」視はさ主れにた西鶏日で本です愛がさ、れ品た種料改理良でもすやがり、や坂す本く龍、馬養が鶏好所きはだまっ1月号-71たと言われる「軍鶏鍋」は江戸でも人気だったようです。鶏の水たき」という名で長崎の      

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