おもしろコラム2月号2024
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しかし、史実は、やはり、当然ながら、小林翁の方を支持したようで、ふたを開けてみれば、このとき、宝塚や東映なだった。このことは、長く私の中に引っかかっていたのですが、最近、そのことを思い出させる一文に出会いました。先般読み終えた、渡邊行男著「緒方竹虎 の中で、太平洋戦争直後について記した部分です。曰く、『九月二日朝、重光・梅津の両全権はミズーリ号に至り、歴史的な降伏文書に署名した。重光葵は命を賭す思いの短歌を残している。 「ながらへて甲斐ある命今日はしもしこの御楯と我ならましを」。だが、当時の庶民の感覚とは違うようでした。徳川夢声の日記によると、「降伏調印式の、東京上空を無数の米軍機がリベラルを貫く」という本曰く、「人々は、不況になればなるほど、娯楽を求めるどよ、う翁にがな手るが」けとたい娯う楽こ産と業だはった大の不で況すにがも、か私かのわ考らえず的大に盛は況、    2月号-106  「不況になればなるほど、娯楽など、生活に関係のない部分は真っ先に切りつめられる」・・・というものでした。飯は「金がないから食うのをやめよう」というわけにはいきませんから、人々は、金がなくなれば娯楽を削ってでも衣食住などの最低限の出費に当てようとするはずだ・・・と。       

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