おもしろコラム2月号2024
114/136

わしめたほどの豪腕政治家にして戦後政界の大実力者でした。それだけに、父は生前、多忙で、洋平氏と旅行などしたことはなかったそうですが、それが、あるとき、何かの関係で二人で同じ列車に乗り込むことになったそうです。その時、父は、自分だけさっさとグリーン車に乗り込み、学生服姿の洋平青年には「親父が偉いのと、おまえとは何の関係もない!」と言って、独り普通席に座らせたそうです。普通、日頃、一緒にいることが少ない父親がたまの旅行の時に別々の席に座りますか?付けるべきケジメはきちんと付ける。子供への愛情などに流されることはない。多忙な父の、息子への精一杯の訓導・・・。厳父・・・。河野一郎と言う人物の、ただ傲慢なだけではない一面を見せつけられたような気がしました。同様のことは明治の厳父と呼ばれた人たちには散見されるようで、もっと凄いのが東武鉄道の創始者、根津嘉一郎翁。東京から北海道まで列車で息子と移動することになった際、自分は二等車に乗って、息子は三等車に乗せたのだとか。・・・当然、大金持ちですよ。それに、北海道までって言ったって、今みたいに新幹線ですぐって時代ではありませんから、おそらく、24時間で着けば良い方だったのではないでしょうか。当時の二等車、三等車という物がどれくらい差があったのかは知りませんが、たぶん、三等車は寝る時も座ったままだったでしょう。甘やかすことなく、そこへ平然と座らせることが出来る・・・、これが真の教育でしょう。まあ、私は交通費と宿泊費には金をかけない方針ですので、それ以前にグリーン車に乗ることはないでしょうけどね。     (小説家 池田平太郎絵:そねたあゆみ)201302 /-       2月号-113

元のページ  ../index.html#114

このブックを見る