おもしろコラム2月号2024
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子や孫の中で、唯一、自ら会社を興した人だとか。)この人は、製鉄業に多大な貢献をした人で、もっと知られても良い人だと思いますが、とにかく寝なくていい人だったそうですね。夜中に「今から行く」と言って電話してくると、「来るな」と言われても来るそうで、それでいて、明け方になると、ポケットから手帳を出して細かい数字をチェックしていたと。ちなみに、正雄は、子供の頃、毎日、学校から学友(子分?)を従えて帰宅。「じゃ、失敬」で、学友?らは初めて家に帰れたそうですが、一方、次男も誰に似たのか、気性が荒い。あるとき、栄一夫人の知人が道を歩いていると、小学生対中学生の刃物を持っての集団乱闘に出くわしたそうで、その中に、ジャックナイフを棒の先につけ、敵に肉薄しようとする少年がいて、よく見たら、それが次男・武之助だったと。で、これら、後妻の産んだ次男、三男、四男は全員、秀才中の秀才の証である一高から東大。(当時、東大生の中でも、一高出身者は肩で風を切って歩く状態で、授業でも「そこは一高出身者の席だ。君は遠慮してくれたまえ」などということもあったとか。)対して、先妻の血を引く嫡孫・敬三は、一高ではなく二高。なぜ一高ではなかったか?というと、成績ではなく、「栄一の後嗣たる者が万一、一高に落ちたとなると名前に傷がつく」という温かい?配慮だったとか。ちなみに、敬三の父・篤二は五高。これも、同じ配慮だったのかも。  池田平太郎絵:吉田たつちか)202202/-        (小説家 2月号-129

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