おもしろコラム2月号2024
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、藤原氏の陰謀により九州の太宰府に左遷させられます。道真は自宅に植えていた梅の花がとても好きだったので、去り際に「東風吹かばにほひをこせよ梅花主なしとて春を忘れそ(私がいなくなっても春が来れば梅の花を咲かせるのだぞ)」と歌いました。 で京都から大宰府まで飛んで来たのです。その梅は飛梅と呼ばれ、今でも太宰府天満宮に植えられています。そして毎年見事な花を咲かせています。日本では梅を観賞花として楽しむだけではなく、実を梅干しにして食しています。梅干しは道真のいた平安時代からありました。その当時はご飯のおかずではなく、医薬品として使われていました。日本最古の医学書「医心方」に梅干しは解熱作用があり、体の痛みや皮膚の麻痺を治し、下痢を止めると書かれているそうです。事実、村上天皇が病に伏した時、梅干しを食べて回復したとか。梅干しにそんな力があるなんて、知らなかったですよね。戦国時代には喉の乾きをうるおす食べ物として、戦地に向かう武士に持たせていました。このように重宝する梅干しですから、江戸時代には梅の木を植えることを大名が推奨しました。水戸の偕楽園もそのひとつ。あの素晴らしい梅林は梅干しのお陰で見ることができるのです。ふわふわと花が咲き誇る梅林公園を歩く時、梅干しを思い出してちょっと口の中が酸っぱくなってしまうかもしれませんね。     (小説家 そして大宰府に赴いたのですが、なんということでしょう。その梅が道真を追って一夜華山 姜純絵:吉田あゆみ)20122/-  2月号-53

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