おもしろコラム2月号2024
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この点では、江戸時代の福岡博多もまた同様で、博多も井戸水が出ないので、大正以前、まだ、水道が普及する前は「水売り」が水を担いで売りに来ていたそうです。今でも、博多は人口の割に、安定した水源が無い為、雨が降らないと、すぐに、渇水になってしまいます。ゴミもまた然りで、紙でも布でも使えなくなるまでリサイクルして、初めて、捨てていたと言います。しかし、それほどに、うまく循環し、機能していたはずの江戸時代も、時代が下り、江戸中期頃になってくると、ゴミ問題が浮上してきたと言われています。筑前福岡藩の領主、黒田家は、関ヶ原後、筑前に    入国すると、博多に入らずに、その東、福崎の地に城を築き、ここを福岡とした。同時に、博多の東隣にある石堂川(現御笠川)を防衛線に想定し、この川の西側(博多側)に、たくさんの寺院を配置した。お寺というのは、広い敷地をもっていた為、兵隊が2月号-97集結都合が良く、さらに、戦闘になった場合には、墓石などが防御の役に立ったといいます。

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