おもしろコラム2月号2024
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池田平太郎絵:吉田たつちか)200702この石堂川に、二本の橋が架かっていました。当時、橋の修理費用は藩の負担だったが、清掃を始め洪水の監視な    2月号-98  ど、橋の管理自体は博多の町方がやっていた。ところが、この頃になると、橋のたもとには博多の人々が捨てる、たくさんのゴミが溜まるようになっていたとか。ゴミは、普段はともかく、川が増水したときなどは、ゴミに堰き止められた水流が橋ごと押し流してしまう危険性がある為、『博多津要録』によると、享保19年(1734年)、付近の10町は連名で「石堂口の橋の周辺にゴミを捨てないこと」を誓約したという記録が見受けられます。享保4年にも、博多の西隣、つまり、福岡と博多の間に流れる那珂川でも、藩より、「川筋、不行儀にこれあり。川へちりあくた(塵芥)を捨てざるよう・・」という達示があったそうです。 つまり、現代のように無機物ゴミなどない、理想の環境循環型社会と思われていた江戸時代でも、実際には、しっかり、ゴミ問題が存在したと言うことです。     (文:小説家   /. 

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