おもしろコラム4月号2025
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題を起こし中退。遊興三昧に入ってしまう。しかし、23歳で公家の娘と結婚。翌年、長男誕生で、このまま落ち着くか・・・と思われたが、39歳のとき、新橋の芸者と暮らし始めたことが新聞に面白おかしく報じられ、曲折の末、41歳で廃嫡。妻子と別居し、芸者との生活を選ぶ。(とはいえ、女中を何人も雇えるほどの生活費が栄一より出ていた。)結局、篤二は、昭和6年(1931)、栄一死去の翌年に後を追うように死去と・・・ただこれ、実はアメリカの発明王エジソンのところがまったく一緒。エジソンは、1871年、24歳のときに結婚。二男一女をもうけるが、1884年、長男、トーマス・エジソン・ジュニアが8歳のとき、妻が死去。残された息子の養育は伯母に任せ、2年後、エジソンは再婚。やがて、成長したジュニアは「エジソン二世電機会社」を設立するも倒産。さらに、怪しげな連中に「エジソン二世化学品会社」の名義を貸し、詐欺で訴えられたことから、エジソンはやむなく、「エジソン」名の使用禁止を求めて「エジソン二世化学品会社」を告訴。エジソンというのは屋号ではなく姓であるから、まさしく、日本でいうところの廃嫡に相当するであろう。その後、ジュニアは農場を買ってもらい、農業に専念するよう言われる一方で、多額の仕送りを受ける。ジュニアはその後、酒に溺れ、エジソン死去の4年後、60歳で自殺。篤二とジュニア、二人ともまるで幼い頃に父と生き別れになった子が、終生、父親の影を慕い続けたような・・・、まあ実際、生き別れになっていたのだろうが・・・。ちなみに、年齢的には、エジソンは栄一の7歳下だが、死んだのは栄一死去の前月。つまり同世代であり、また、両者、しっかり面識もあったとか。日米、国は違っても、これが、この時代の偉人の子の一つの形だったのかもしれない。(小説家 /-         池田平太郎絵:吉田たつちか)202104    4 月号 -170  

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