●日本人とパンロシアではいまでも大切なお客様がきたとき、丸いパンと塩で歓待します。そして一緒に食事をするのはお互いに仲間であるという証し。日本でいうところの同じ釜の飯を食べた仲間というのと一緒。欧米においてパンは、日本におけるコメ同様、やはり特別な食べ物なのですね。日本に西洋のパンが入ってきたのは、安土桃山時代、つまり戦国時代です。彼らは数多くの文化を日本に残していきました。コンペイトウ、カステラ、ボーロといわれるお菓子たち。いまや日本料理を代表するテンプラも西洋由来。食材でいえば中南米原産地でありながら、カボチャやトウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモは日本に根付きましたが、小麦粉があるにもかかわらず江戸時代にパンが日本人の食卓に出ることはありませんでした。明治になり木村屋がアンパンを発明。これが大当たりし、やがていまでもあるジャムパンやクリームパンも作られるようになります。パン食は主食というよりお菓子やおやつとして日本に広がっていきます。それが決定的に変わったのが太平洋戦争の敗戦。敗戦直後、日本は大変な食糧不足に襲われ、さらに天候不良で農作物の収穫は落ち込み政治家は「このままでは国民の1千万人が飢えと病気で亡くなる」とまでいうほどでした。ちなみに当時の日本人口は約7200万人ですから、7人に一人が亡くなるかもという大ピンチだったのです。ちょうどそのときアメリカは大豊作で小麦等が余っていました。アメリカとしては、戦争で米軍をさんざん苦しめた日本人を親米化したいといういう思いや、将来、日本をアメリカの農産物のお客にしてしまおうという思いもあり、「アメリカ小麦戦略」を行います。パンや乳製品をほとんど無償で日本に提供、学校給食ではパンと牛乳(もしくは脱脂粉乳)が出し、食べ物の欧米化を図ったのです。この戦略は成功し、21世紀の現在、パンの消費量はコメを超えています。 4 月号 -56
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