おもしろコラム4月号2020
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日本に西洋のパンが入ってきたのは、安土桃山時代、つまり戦国時代です。彼らは数多くの文化を日本に残していきました。コンペイトウ、カステラ、ボーロといわれるお菓子たち。いまや日本料理を代表するテンプラも西洋由来。食材でいえば中南米原産地でありながら、カボチャやトウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモは日本に根付きましたが、小麦粉があるにもかかわらず江戸時代にパンが日本人の食卓に出ることはありませんでした。明治になり木村屋がアンパンを発明。これが大当たりし、やがていまでもあるジャムパンやクリームパンも作られるようになります。パン食は主食というよりお菓子やおやつとして日本に広がっていきます。それが決定的に変わったのが太平洋戦争の敗戦。敗戦直後、日本は大変な食糧不足に襲われ、さらに天候不良で農作物の収穫は落ち込み政治家は「このままでは国民の1千万人が飢えと病気で亡くなる」とまでいうほどでした。ちなみに当時の日本人口は約7200万人ですから、たのです。ちょうどそのときアメリカは大豊作で小麦等が余っていました。アメリカとしては、戦争で米軍をさんざん苦しめた日本人を親米化したいといういう思いや、将来、日本をアメリカの農産物のお客にしてしまおうという思いもあり、「アメリカ小麦戦略」を行います。パンや乳製品をほとんど無償で日本に提供、学校給食ではパンと牛乳(もしくは脱脂粉乳)が出し、食べ物の欧米化を図ったのです。この戦略は成功し、21世紀の現在、パンの消費量はコメを超えています。しかしこれはそう悪いことではなかったと思っています。なんといっても、日本人は世界でもっともいろいろな料理を食べる民族。昨日はイタリアン、今日は和食、明日は洋食と、実に毎日いろいろな国の料7人に1人が亡くなるかもという大ピンチだっ●日本人とパンおもしろコラム(4月編)757

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