おもしろコラム4月号2020
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2009-04景虎にすれば感無量のものがあったでしょうが、すでに後継予定者となっていた景勝からしてみたら、「叔父さんは何てことをするんだ!」と思ったでしょう。その結果、謙信が没した直後から当然のように「御館の乱」と呼ばれる養子間の内乱が勃発しますが、ただ、この時点で兼続は数えの19歳。微妙なところですが、2年後にはもう重用されていたということを考えれば、このときも、景勝から何らかの諮問はあったと考えて良いのではないでしょうか。その上で、私が首を傾げるのは、景勝が上杉家の家督を相続することを優先し、大敵、織田信長の存在を後回しにしたことです。当然、機を見るに敏な信長がこの好機を見逃すはずもなく、内乱が長期化する間に領土は瞬く間に侵食され、終結したときには、わずかに一国半となってしまい、その結果、武田家が滅びると、織田の鋭鋒は勢いそのままに、四方八方から上杉領へなだれ込み、上杉家は滅亡の瀬戸際に立たされます。このとき、上杉家が滅亡しなかったのは、信長が本能寺の変にて横死したからに過ぎず、単に運が良かったというに過ぎません。そこら辺を考えれば、両者は内紛など引き起こすことなく、理性を持って、一致協力して大敵信長に当たるべきではなかったでしょうか。景虎が家督を継ぐと、北条家の傘下に組み込まれてしまうという危機感があったのかもしれませんが、景虎からすれば、自分を捨て殺し同然に人質に出した実家に対して、安穏と実家の下風に置かれることを良しとしたとは思えず、できるだけ実家の援助は受けたくなかったというのが本音だったでしょう。であれば、二人に妥協点はあったように思えますし、何より本来、強敵に対しては呉越同舟で一致結束しやすいものなんですけどね。(小説家池田平太郎絵:吉田たつちか)/おもしろコラム(4月編)91

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