おもしろコラム5月号
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たことから、ノルマンディー上陸作戦や、ヤルタ会談でのソ連へのシベリア参戦要請などを始めとする、一連の決定は、果たして、正常な思考の元で為されたのか?ということが言われているようです。ノルマンディ上陸作戦は、1944年(昭和19年)6月6日、敗色濃厚の感が強くなってきたドイツにとどめを刺すべく、連合軍によって為された、ヨーロッパ本土への強襲上陸作戦です。ところが、実は、当時、相手方であるドイツ側には、もう一カ所、別の上陸予想ポイントがあったそうです。それが、パ・ド・カレー地区です。当時、ヒトラーを始めとするドイツ首脳も、ここを連合軍の上陸予想地区の第一に掲げ、実際に連合軍がノルマンディに上陸したときも、一部の司令官の中には、これをパ・ド・カレー上陸の為の陽動作戦だと思い込み、早期の反撃を指示しなかったとさえ言います。それほどに、パ・ド・カレーが重要視された。その理由は「イギリス本土から大陸への最短距離である。」、「空軍・海軍からの支援が受け易く、港も確保し易い。」、「イギリスにとって脅威であったドイツ側のロケット兵器基地がある。」と             「ボケ」と「ズレ」第二次世界大戦中、アメリカ合衆国大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、この大戦の最中に亡くなっ    5月号-122  

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