おもしろコラム5月号
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実上は、同船していたアメリカ側乗組員の手によって、相当の部分が運行されていたとか。そして、この点は事実上の指揮官として、また、海軍通の第一人者を自認していた勝も例外ではなく、特に、伝染病の疑いが懸念されたこともあって、航海の大半を自室に閉じこもって終えたのに対し、逆に福澤は医学的知識が豊富だったこともあって、船酔いもせず病気にもならなかったことで、福澤の、勝を見る目は太平洋の海面よりも冷たかったでしょうか。さらに、福澤の目を厳しくしたのが、勝が艦長・木村摂津守喜毅に次ぐNO2として、事実上の操船指揮官であったのに対し、福澤は、その、木村の従者として、自費での乗船だったことでした。そういうと、従者待遇への不満が原因であったかのようですが、ことは勝の「上司」にして福澤の「主」である、この木村という人物に起因します。木村喜毅は、勝・福澤と違い、浜御殿奉行の嫡子という名門の家に生まれました。従って、叩き上げの実力派を自認する勝からすれば、木村という男は、「名門の出」というだけで艦長の役職を与えられた唾棄すべき存在であり、このため、勝はこの航海中、木村を露骨なまでに無視・・・、というよりも、いじめ抜きます。しかし、一方で、木村は、元々、幕臣でも何でもない福澤の乗船を許したくらいですから、身分を鼻に掛ける5月号-125  . 

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