おもしろコラム5月号
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また、上士と下士の間には厳格な一線があると言ったところで、上士の数だけでは限        今年の大河ドラマ「龍馬伝」が、なかなか好評のようですね。私も「娯楽作品」としては毎週、楽しく見ています。特に、武市半平太とその一派が、何かあるとすぐに目を吊り上げて「攘夷!」・・・と叫ぶシーンなどは、現代の、ネットなどで過激な意見を吐いている人たちと二重写しに見えます。(この手の輩が中途半端な理論武装を振りかざすところも、また、底の浅さが露呈したときのヒステリックな反応もまったく同じに見えます。)もっとも、実際の武市がどの程度、本気で攘夷思想を推進する意思があったのかは別にして、彼には「攘夷」を唱えなければならない「事情」があったのは事実でしょう。まず、土佐藩という藩は歴史的に関ヶ原の戦いでの勝者側である山内家武士団が進駐することによって始まった体制だけに、上士の下士に対する抑圧は他藩に比べても著しかったと言われており、また、一旦定着した支配体制が堅牢な物であればあるほど、下層に置かれた者がはい上がるのは、事実上、不可能に近く・・・。となれば、その憤懣も一方ならぬものだったでしょうが、そんな時に、土佐藩の上部団体である徳川将軍家とは別系列になる天皇家が、将軍家とは違う意向を持っていることがわかったわけですから、これは抑圧されている側にとっては文字通り、千載一遇の好機だったでしょう。(そういう視点で見れば、楠木正成が哀しいまでに献身的に南朝方に尽くしたことも理解できる りがあり、一旦、有事の際には下士も動員しないことには絶対数が不足することは明らかなことから、下士と言えど5月号-131も「殿様(体制)を守る」という意味での「防衛」を唱えることは、ちょうど、今の中国やロシアなどに置ける「愛国心」のようなもので、官憲側も安易に取り締まれない・・・という面があったでしょう。人に優しい、「土佐藩」     

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