おもしろコラム5月号
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第二高等学校に合格。敬三にとって、祖父栄一は祖父ということを超えて、本当に  /- 尊敬する人物でしたが、栄一にとっても、期待の孫だったようで、の孫は自分の子供や孫のうちでは一番出来がいい。非常に期待をかけているから、後見と訓戒を頼む」と長~い手紙を送って頼んだと。しかし、敬三は「自由民権運動の爺さんの話を聞かされても・・・」で、あまり、よりつかなかったとか。これ、まさしく、今の若者が、爺さんの学生運動の時の話に耳を貸さないのと一緒では?池田平太郎絵:吉田たつちか)202105り泣きが漏れたと。さらに酷いのが、学校側の手落ち敬で三、が落仙第台のに通行知くをとし、な栄か一っはた自た分めの、仙敬台三一はの卒実業業式家にの来友て人しにま「うこ    5月号-138  んですね。何とも可哀そうな話です。結局、敬三は、翌大正4年(1915年)、中学卒業と同時に、満19歳で澁澤同族株式会社の社長となり、仙台の     (小説家 

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