おもしろコラム5月号
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       戦いには勢いが必要  私にはかねてより一つの疑問があります。豊臣秀吉の死後、身の程知らず(?)にも徳川家康に戦いを挑み、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成ですが、彼は本来、文官であり、秀吉軍でも作戦担当ではなく、補給担当の参謀でした。秀吉としても、三成に軍功を挙げさせてやるべく、小田原征伐の際に、敵の支城、忍城の攻略を任せています。おそらく、それほど難しくもない「美味しい案件」だったのでしょう。ところが、結局、これも最後まで城を落とすことが出来ず、敵本体が降伏した後もまだ戦闘が続いていたという、実にわかりやすい形での「不合格」になってしまいました。それだけに、三成も自らに軍才は無いことをよく認識しており、その空隙を埋めるべく、島左近ら歴戦の勇将を傍らに配していました。私が疑問に思うのはここです。であれば、なぜ、関ヶ原の際には、自らしゃしゃり出ることをせず、彼ら軍事の専門家に作戦指導を任せなかったのか?と。関ヶ原での三成のまずい作戦指導は、これでもかというくらい指摘されているのですが、(その最たるものは濃尾国境で進軍をストップしたことでしょう。戦いには勢いというものが必要で、それを誰よりも効果的に使って見せた秀吉なら、実際に進軍しなくとも、「江戸まで一直線に攻め込むぞ!」という姿勢は崩さなかったはず。)、多分に結果論ということは否めない事実でしょう。ナポレオン時代のドイツの参謀・クラウゼヴィッツが「戦争とは錯誤と過失の連続。一つでもそれが少ない方に勝利は微笑む」と喝破したように、生命の危険がかかった戦場では卓上のゲームと違って、そんなに一方にばかり都合5月号-143      

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