おもしろコラム5月号
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もしや、人が川を不自由なく渡れるようになったのは比較的最近のことなんじゃないか・・・と。たとえば、川幅が1mしかなくとも、もし、深さが10メートルあればその恐怖心たるや、軽々には渡れませんよ。実際、江戸時代までは橋といえば木造が大半だったでしょうから、「橋を架ける」というのは材木の切り出しから、加工運搬、組み立て・・・とすべて手作業で、せっかく架けても、大雨が降ればすぐに流されてしまう、何とも割の合わないものだったことがわかるでしょう。そう考えれば、「越すに越されぬ大井川」などと言いますが、あれも幕府が防衛のために橋を架けなかったというよりも本音は経費面で合わない・・・ということだったのかもしれません。となれば、川にはよほどのことがない限り、普通に橋は架かってなかったはずで、人々は渡し船や漁船などに頼み込んで川を渡っていたのでしょうが、まだ、船など無いもっと古い時代には川を渡ろうとする場合、殆どが浅瀬を見つけて渡る・・・というのが一般的な渡河の仕方だったでしょう。ただ、そうなると、距離的にも物凄い回り道をしなければならず、さらに、真冬や荷物などがある場合などは渡るには難渋していたと思われ、つまり、現代の人が考える以上に、川は農業用水、生活用水として絶対に必要とされた反面、陸上交通という観点から見た時には障害以外の何物でも無かった・・・ということになると思います。ちなみに、川を渡ろうとするのは当然、何も旅人ばかりではないわけで、軍勢が通過するに際しては、大体、古代ローマから日本の戦国武将まで共通するようですが、船を並べて、その上を板で固定する方法が一般的だったようです。もちろん、船は近在の漁船を強制的に徴収し、船を繋ぐ板などの資材は近在の家などを片っ端から打ち壊して調達したようですが、戦乱の時代、庶民にとってはこれだけで済むというのは、まだ、感謝しなければならない範囲のこ5月号-157とだったのでしょうねぇ。        

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