おもしろコラム5月号
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昨今、国立大学はその使命を終えたなどという声が聞かれるようですが、そもそも、偏差値というもの自体、「如何に高い平均点を取るか!」ということに重点がおかれた考え方で、わかりやすく言えば、国語は0点でも、算数なら160点とれる子も、下限が    5月号-160  0点止まりである反面、上限も100点止まりなのですから、いくら一芸に秀でていても平均では50点となるわけです。これでは、一芸にのみ秀でた者、もしくは教科以外のことに秀でた子供というのは多くが「落ちこぼれ」の名の下に否定される構図が出来上がってしまいます。結果、皆、得意分野を殺し、不得意分野を補充するという、誰もが平均点が取れる画一的な子供として量産されることになったわけです。確かに限られた予算で早急な人材育成を図らねばならなかった明治初期は、少数のエリートに優先的に教育を施さねばならず、また日本国民の知識の底上げという点では役に立ったかもしれませんが一方では規格からはみ出す者には、容赦なく、「落ちこぼれ」というレッテルを貼って、十把一絡げにベルトコンベヤーの外に       学年不要論   

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